今回の地震で大きな被害に合われた方々に、改めてお見舞い申し上げます。
私どものいる北広島市輪厚エリアは震源地から直線距離で50kmほど離れていたのですが、震度5弱(北広島市は5弱というものの横長の町でして、近隣の清田は震度5強なので、恐らく5強だと思いますが)の地震に見舞われました。
(北海道の広さをご存知じゃない方も多いと思いますので、距離感を申し上げると私どもの場所は東京駅起点で相模湖あたりになります。
札幌は震源地から60kmほどで、同じ起点だと小田原市の手前。
小樽、帯広は100kmほどで、これは伊東のあたり。
函館だと150kmほどで、静岡市あたりとなります)

この地震によって、このあたりは60時間ほど停電となりましたが、現在は復旧。
水道もガスも問題なく、ライフラインの確保は出来ております。

地震直後に製品庫と熟成庫の保全

よく「製品保管の冷蔵庫などは大丈夫だったの?」とよく聞かれるのですが、弊社は停電時のリスク最小化を8年ほど前にシミュレーションしていて、万が一のときにと、工場外壁に発電機接続用のバイパス回路を作っておりました。
(翌年に東日本大震災が起きて他人事じゃない。いつ起きてもおかしくないと)

大地震が起きたときは、3時間経過したら発電機を借りに行くことに決めており、朝6時には産業用発電機(工事現場で見かけるもの)を確保することを最優先事項にあげ、取引のあるレンタル会社へ。
電話が繋がらないので、直接軽トラックでレンタル会社に行くことに。

片道30分ほどの道中、信号はすべて停電となっておりましたが、交差点では譲り合いの気持ちもあって、阿吽の呼吸で車の行き来が出来る状況でした。

さて、レンタルしようとしていた発電機は、現地に行くと、軽トラックには載せきらない重さと分かり、会社近郊の農家の方に連絡して、4トントラックを借りに一度戻ってから、発電機を調達。

会社に急ぎ戻ると、スタッフ全員の無事を確認できたと報告をもらい、その後、30分ほどでバイパス回路へ接続。冷蔵庫・冷凍庫の電源復旧することが出来ました。また、長期に渡る停電を予想して、発電機用の軽油の調達法も検討。
多くの方々の協力もあって、無事確保できた次第です。

3.11の東日本大震災でお客様に教えて頂いたこと

このときのことを皆様、覚えていますでしょうか?
多くの方々が亡くなったこともあって、時間が止まったように、 数週間に渡って、その被害を報道で紹介されました。 テレビや新聞などで広告やチラシが自粛。
私どもも、ちょうど春のチラシの折込時期だったのですが急遽中止。DMの発送さえ控えていたところ、偶然、震災に見舞われた仙台ののお客様が千歳から飛行機に乗られる前に、私どものところにわざわざ寄ってくださったのでした。

「大変な被害に見舞われましたこと、心からお見舞い申し上げます」と申し上げたところ、そのお客様がご自身も事業をされていて、倉庫が消失したり、働いているスタッフが行方不明。地震の自宅も、2階建ての1階部分はほぼ全壊にちかいとお話くださいました。
話を受け、悲壮な面持ちでいたところ、お客様がいきなり「あなた達は被害を受けていないのに、何故、自粛したりするのですか?」と言われるので、驚きました。

震災復興を早めるのは、貴方達が私達の分も経済活動を支えてくれることです。ですから、震災に見舞われた私達の復興活動を支援するために、いつもと同じように経済活動を行い、消費活動をしてくれることが大事なのに、どこに行っても、悲壮な面持ちで時間が止まったように活動を休止している。それはとてもおかしな事だ」と仰られました。

この言葉で「はっ」と我に返ると同時に、その数日後にはDMやチラシを入れて、いつもと変わらない経済活動をすると同時に、募金を募り、震災復興の支援をすると決めたのでした。

危機に直面した際「可能な限り平常心でいること」が大事

この時のお客様のお話から地震や落雷、台風などによって停電が起きたときに、最初に何をすべきか考えていました。
ですので、震災による大停電「ブラックアウト」に平常心でいれたのと同時に、自分の身の回りの安全が確保できたときには、皆様のなにか役に立てたらとずっと思っておりました。

情報収集をしていると多くの困りごとが

ほっと胸を撫で下ろして、会社のHPやFacebook、メールやLineなどをチェックすると、全国から心配してくださる多くの友人やお客様よりメッセージが殺到しておりました。
ひとつずつ無事を伝えると同時に、情報を集めていると同じ北海道にお住まいの多くの方々の今後の不安な思いが多く伝わってきました。

時間の経過とともに

震災から6時間後、政府発表で「停電は早ければ午後にも復旧する」という報道が流れてきます。ところが、その数時間後には「数日から一週間程度続く可能性がある」と変更されました。

そうなると、FacebookやTwitter、Line上で「冷蔵庫、冷凍庫のものを食べてしまおう」「電気が通じないので、BBQでもしてしようか」という声が聞こえてきます。
併せて、コンビニやスーパー、ホームセンター、ガソリンスタンドに人々が殺到する状況に。

翌日、停電2日目になって入ってくる情報は
「食料を調達したいけど、スーパーやコンビニに人が殺到していて買いたいものが買えない」という声が圧倒的な数に。中には、「スナックフードしか食べていない」なんていう声も。

そんな最中に、普段お付き合いのある農家の方々と電話でやりとりしていると、野菜が収穫時期に来ているのに、物流が動いていないので売れない。併せて、販売先が開いていないなどの声が。

私達に何が出来るのだろう?

食に携わる人間として、心を豊かにしてくれるのは食だからこそ、非常時にも少しでも美味しいものを食べてもらえたらと。

しかし、まだ私達のエリアも電気も復旧してない。携帯の電波も届かない状況。
そんな私どもに何が出来るのだろうと真剣に考えました。

輪厚はアクセスがしやすい場所。
眼の前にはサービスエリアもあり、インターチェンジもある。
私どもには直売所も駐車場もあって、何度もイベントを開いた経験もある。
ならば、臨時でマルシェを開いてみてはどうだろうか?と思い立つのです。

告知法はどうするか?
今回は、皆、FacebookやLineから伝わってくる励ましにどれだけ勇気づけられたことか。ならば、伝わるだけの範囲で少しでもと思い、初めての告知を拡散チャレンジ。 開催まで、僅か39時間ほどしかありませんでしたが、驚く速さとスピードで拡散されていきました。

多くの皆様のお力添えのお陰

翌朝、投稿に対する「いいね!」は1,700件近く、シェアも800件近くに。リーチでも6万人近くになっていました

しかし、開催1時間前、2トントラックを横付けにして、多くの荷物を次々と荷降ろししていても、お客様は一向に来そうにもありません。

急遽、ボランティアを申し出くださった札幌のイタリア料理店のイルピーノの川端シェフや農政事務所の方々と、準備をしていると9:30頃から次々と車が…。

10時開店前には、人の行列も数百メートルにもなりました。

もうそこからは、私どもも訳が分からず必死。急遽、更に追加で野菜を持ってきてもらうようお願いしても追いつかないほど。

2時間半で、ほぼ全量を売り終えた時にはホッと胸を撫で下ろすのと同時に、その後も多くのお客様が詰めてくださっていたので、ご期待に添えれずに残念な気持ちにもなりました。

大変学びの多い機会を頂きましたとともに、また別の形で多くの皆様に美味しい野菜やグルメなどをお届け出来る機会づくりもと思っております。

また多くのお力添え頂きました事、改めて、この場をお借りして、心から深く感謝申し上げます。皆さん 本当にありがとうございました!

9/16現在 ほぼスーパーやコンビニの品揃えも8割方正常に戻りつつあります。また余震も本当に少なくなりました。

昨日からは、札幌オータムフェストも始まり賑わいも戻りつつあります。
先にも書きましたが、震源地から遠く離れた旭川、函館、十勝、そして札幌です。ほぼ正常運転しております。また、多くの観光客が戻ってこられることお待ちしております。

私どもエーデルワイスファームも、自慢のハムやベーコン、ソーセージを揃え、多くの皆様のご利用をお待ちしております。

お中元・お歳暮などの贈り物にエーデルワイスファームのハムベーコンを。
内祝・お祝い用のギフトにも喜ばれております。
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